大師でのりがとれた頃の話
2002年3 月7 日(木)

斉藤 金作(さいとう きんさく)

大正15年8月6日 川崎生まれ(75才)8代続いたのり漁師
昭和46年 川崎漁業協同組合組合長(45才)
昭和60年 同組合解散、東扇島に記念碑建立
  現在NPO法人「川崎海の歴史保存会」理事長

 1、川崎の海の由来と漁業組合のあゆみ

明治4年
(1871年)
石川四郎兵衛(殿町)桜井佐七(日の出) 川島勘左衛門(塩浜)石川 長兵衛(日の出)の4人の漁師により、国から2,000坪(約66,000 )の海面の使用権を得て、のり採取業を始めました。それから徐々に漁師も多くなり使用する海も広くなりました。
 
明治25年
(1892年)
東京都羽田との海の境界線ができま した。通称三本ヨシを起点として卯 (う=東)の18度より南側が大師の海と定められました。
 
明治35年
(1902年)
漁業組合法ができ、大師にも漁業組 合が生まれました。
明治42年
(1909年)
漁業を営む人が増え、大師全体で約 450世帯が海の仕事に係わるようになりました。のり採取を中心に、貝や魚の漁も盛んになりました。
 
大正初期 大森方面から、竹ヒビを使ったのり養殖方法を教えてもらい大量生産ができるようになりました。
 
大正9年頃 大師の海では、多摩川の真水と海水が良く調和して、品質の良いのりができました。大師河原は、神奈川県内最大ののり養殖漁場に成長し、「大師のり」は町を支える産業として発展しました。これを記念して、川崎大師。平間寺の境内に、のり創業50周年記念碑が建立されました。
 
昭和初期 この頃から、大師にも会社や工場が建てられ始め、海を埋め立て開発する事業が行われるようになりました
 
昭和9年
(1934年)
この頃から、竹ヒビにかわって網ヒビによるのり養殖方法がた千葉県から伝わり、のり生産量は一段と上がりました。このため、大師の産業は農業から漁業へと移り、アサリ、ハマグリ等の貝類の生産も盛んになりまし
 
昭和16年
(1941年)
太平洋戦争が始まり、漁師も戦争へ行かなくてはなりませんでした。人手不足のうえ、のり養殖に必要な資材も不足して、海の仕事も休業状態が出始めました。
 
昭和17年
(1942年)
川崎漁業会ができ、のり養殖業者と 貝捲業者が合同しました。
昭和20年
(1945年)
8月15日終戦。国中が食糧不足でし たが、大師の海から捕れるのりや、魚、貝類は多くの人々の生活を助けました。
 
昭和26年
(1951年)
戦後、日本の社会は大きく変わり、 新しい法律が作られました。その新しい法律によって川崎漁業協同組合が生まれました。
 
昭和30年
(1955年)
臨海工業地帯造成事業が神奈川県に より計画され、現在の浮島の埋立工事が始まりました。これが本格的な漁場埋立の始まりです。
 
昭和35年
(1960年)
会社や工場がたくさんでき、そこか ら出される排水などによって海水が汚れ、のり、貝類、魚類の水揚げ量が少なくなりました。さらに捕れた魚が油臭くなって商品価値がなくなり、漁業をやめる人が続きました。
 
昭和42年
(1967年)
この頃より海水もきれいになり、再びのりや魚貝類の水揚げが良くなってきて漁師にも活気が出てきました。昭和42年頃には漁師は131世帯ありました。
 
昭和47年
(1973年)
昭和43年、東扇島埋立工事事業が発 表され、関係当局と漁業組合が話し合いを続けた結果、明治初期より100年余り続いた大師の海はすべて埋め立てられ、漁師も全員漁業を辞めて転業することに決まりました。昭和47年7月には、先祖代々の法要と魚貝類の供養を行い、漁業の思いでの本『海』を作りました。
 
昭和48年
(1974年)
漁業者の転業として、塩浜にゴルフ練習場を始めました。
昭和60年
(1985年)
漁業組合の財産処分も終わり、漁業のゆかりの地である東扇島に記念碑を建て、川崎漁業の由来とその歴史を作った漁民の名前を刻み、その思い出を永く保存することにした。
 


2、大師の海で水揚げされたのり、魚、貝の種類

1のり 青のり(アオサ)
2貝類 あさり、はまぐり、青柳(バカガイ)、潮ふきあかにし、赤貝、カラス貝、カキ
3魚類 カレイ、ボラ、ハゼ、ウナギ、アナゴ出世魚、セイゴ→フッコ→スズキ

3、大師の海の漁法

1のり 養殖方法、木ヒビ、竹ヒビ、網ヒビ加工方法、のり付け→乾燥→販売方法
 
2貝類 貝捲、大捲、腰捲(コシタボ)、潮干狩り
3魚類 巻き網、底引網(ケタ)簀立て、枡網(定置網)、一本釣り
  例1、ウナギの漁法竹筒、ボサアミ、ウナギガマ、夜とぼし
  例2、カレイの漁法メズキ、一本釣り、三枚網、底引き網

4、漁民の天候判断

北風が吹くと天気が続く鋸山に「チギレ雲」が出ると南風が吹く富士山の中腹に「風足」(白い細長い雲)が出ると風が吹く富士山に団子雲が出ると「ナライ」(北風)が強い大山に雲が出ると「ナライ」が吹く相模っ原に「赤ンボー」が吹っ立つと突風が出る西の空に「チギレ雲」が出ると突風が出る「チョウチョウ」(白い小さな雲)が飛ぶと風が出る南の空に「風足」が出ると南風が吹く大間口(三崎と房総の間)が見えると強い南風が吹く北の空がまくれ上がっていると「ナライ」が吹く西風が吹くと次の日は必ず北風が吹く、もし吹かないと天気がくずれる

 2月8日は季節風がよく吹く旧5月末は「灯スミ」で船をつなげというほど風がない朝焼けは雨、夕焼けは天気夏の朝焼けは時化(しけ)がある「コチ」(東風)が吹くと雨が降る「ヨタ」(小汐)は天気がくづれる上げ潮で降り出した雨は大降りになる引き潮で降り出した雨はすぐ止む風下の暗いときには雨を持ってくる月が傘をかぶると天気は下り坂タバコの煙がパーッと散ると天気、フワフワと消えると曇り房総の山が見えると天気のぶっけりで雨が近い相模の大山から出た雷は雨を持ってくる秩父の山から出た雷は雨を持ってこない雷が海に入ると天気がぐずつく入道雲に横雲がかゝると雨が近い風下の暗いのと隣のぼた餅は黙っていても雨(甘い)を持ってくる